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回顧〜海外一人旅 |
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海外一人旅の思い出 学生最後の年、同級生の必死な就職活動を横目で見ながら 僕はアルバイトに勢を出していた。 ”アメリカに行ってみたい”という夢を実現するためだった。 ただ行ってみたかった、というのが正直なところで”英語を勉強しよう” なんてことも当時はコレッポッチも思っていなかった。(今は後悔!) アルバイトで知合った知人と”アメリカ一周をしよう”という計画 だけは立て僕は一足先に渡米した。 到着したのはアメリカ西海岸のサンノゼという、日本人も結構いるところ。 つてを頼って寝床だけは確保できていたので助かった。 一ヶ月位は近辺の観光地を闇雲にみて回ったのだが、車が欲しくなりバイトを することになった。 日本食レストラン(すしバー)で皿洗い、そのうちカリフォルニアロール (太巻きを逆にしたもの)といなり寿司をまかされ、初めてチップを貰った時は そうとううれしかった。時給は忘れたがそこそこのバイト料がもらえた。 突然ですが我輩がパイロットに? すしバーのアルバイトですばらしい出会いがあった。 彼は、すし職人として仕事するかたわら、自家用飛行機操縦を教える教官でした。 彼から”空”の話を聞いているうちにパイロットのライセンスを取ろうと 彼の所属するスクールに入りました。 ラジオ片手に飛行場まで行き管制塔の交信内容を聞き特殊な飛行用英語を学びました実地と学科を平行して進め、いよいよファースト・ソロ・フライト (ある程度実地が進んだところで行う完全単独飛行)がやってきました。 それまで、教官が隣に乗り飛行訓練を受けていたのでさほど心配は していなかったのですが エンジン始動いざ出発!滑走路まで行こうと思った瞬間経験したことのない 体の異常が!なんと脚がガクガク震えだし止らなくなてしまったのです。 機体は左右にふらつき、このとき見ていた教官は僕以上に心配だったでしょう。 機体が地面を離れると同時にこの震えも止まり、事なきを得ましたが、 あの時のことはいまでも忘れることができません。 そんなこんなで、2ヶ月ほどで無事免許が取得でき 晴れてパイロットの仲間入りができました。 参考までに!僕が習った教官は、関西出身の日本人で僕が帰国して数年後に 日本人としては初のFAA公認インストラクターとして 自分のフライトスクールを開校し現在も活躍中です。 滞在中に見た思い出の映画 パイロットライセンスのチェックフライト(最終実技試験)が悪天候で順延され、 張り詰めていた糸がプツンと切れ、落ち込んでいる僕にインストラクターが 気分転換にと誘ってくれたある映画がありました。 あまり言葉が理解できないながらも超感動したのが「トップガン」でした。 滞在中は毎週末、帰国後もなんど見たことか。 あの時、あの映画に誘ってくれたインストラクターのY.Wさんには感謝!感謝!です。 やっぱりデカイ!アメリカ一周 僕がアメリカに来てから数ヶ月後、アメリカ一周を約束した友人がやってきました。 居住していたサンノゼを出発し帰ってこようという計画で期間は決めませんでした。 おもいろい場所があればそこに滞在しといったように風任せの旅です。 僕の乗用車(外見はポンコツ!エンジンは載せ変えたのでソコソコ!)で一周 することになったのだが、友人はかなり心配そうでした。(あの車なら誰でも思うか!) サンノゼを出発し、おおまかにいうとロス〜ラスベガス〜ニューオリンズ〜マイアミ〜 ニューヨーク〜シカゴ〜カナダ〜シアトルとアメリカの外周を約2ヶ月かけて回り、 全走行距離は2万q余り、心配していた車も雪道のハイウェイでスリップした以外は 大したアクシデントもなく無事帰還できました。 やはり、アメリカはデカイですね。2ヶ月間で春夏秋冬を体験してしまいました。 全米にチェーンを持つモーテルも幾つかあり、ファーストフード店も充実しているので 食・住にはあまり困りませんでした。ただ結構急いで駆け回った感があり今思うと 多少残念だったかもしれませんが、一周を終えたときの達成感はかなりのものでした。 ここで思い出すべてを語り尽くせませんが、海外で一人旅をした経験と すばらしい人に出会えた事が大きな財産となりました。 その後、新婚旅行を含め3回ほどこの地を訪れサンノゼは第二の故郷になりました。 もし、飛行機のライセンスを取りたいと思っている人がいましたら絶対お奨めの インストラクター(現在は自ら経営するフライトスクールの校長さんです。)ですので ご紹介します。 |
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